自由惑星同盟。
旧帝国歴一六四年、宇宙歴四七三年、国父アーレ・ハイネセンが四〇万の同志と共に帝国の支配からの脱出を図り、半世紀の放浪の果てにハイネセンを含む六割以上の同志を失いながらも宇宙歴五二七年に建国された、銀河連邦の後継国家である。
建国後はひたすらに国土の拡張、国力の増大を努め、帝国の眼が届かない辺境である事、同盟と帝国間の航路がイゼルローン、フェザーン回廊しか存在しなかった事が幸運となり、その力を着実に蓄えていった。
そして一一三年の雌伏を経て戦艦同士の遭遇戦を契機として宇宙歴六四〇年より帝国・同盟戦争が勃発、実に一六〇年の長きに渡り続けられたが、宇宙歴八〇〇年ローエングラム王朝に併合される形で滅亡を遂げた。
このような建国の背景があるためか、自由惑星同盟の根幹には反ルドルフ、反ゴールデンバウム主義が本能のごとく刻み付けられ、それは呪縛の如く同盟市民の思考、言動、行動を縛る鎖となった。
しかし、建国中期、そして帝国・同盟戦争初期においては銀河連邦黄金期の再来を彷彿とさせる『古き良き時代』の再来、ダゴン星域会戦での完全勝利なども相まってその呪縛は最も薄れていた時代であり、もしも帝国と同盟が和睦し、国交を結ぶのだとすれば、この時こそが最初にして最大の好機だった。
現に当時の最高評議会議長マヌエル・ジョアン・パトリシオ、その次の議長であるコーネル・ヤングブラッドは歴代の評議会議長の中でも最も積極的であったとされており、アプローチこそ違えども帝国との和睦、及び国交樹立を目指したが、それぞれに不運が重なりそれが実を結ぶ事は無く、頓挫。
そしてその機会は宇宙歴七〇七年に帝国、同盟、この二つの国を知る唯一の皇帝として即位したマンフレートⅡ世が、国内の政治改革と同盟との和睦と国交樹立の道半ばで暗殺されたことにより永遠に失われ、以降同盟は帝国からは辺境の叛乱勢力と呼ばれ続け、その汚名は『冬バラ園の勅令』まで続く事となった・・・
ユリアン・ミンツも記述しているように、ゴールデンバウム朝銀河帝国と自由惑星同盟、この二つの勢力が停戦及び国交樹立に至る最大の好機が存在したとすれば、それはダゴン星域会戦直後とマンフレートⅡ世即位時の二つである。
だが、私見であるが、ダゴン星域会戦直後こそが最大にして唯一の好機であると考えている。
理由としては帝国はダゴンの大惨敗以降、『晴眼帝』マクシミリアン・ヨーゼフⅡ世即位までの六年間にも及ぶ政治的混乱が帝国全土を揺るがす事態になっており同盟を相手にする余裕がなかった。
そこを同盟がたとえフェイクであろうとも逆侵攻の構えを見せた上で停戦及び国交樹立の交渉を見せれば無視する事は出来なかったに違いない。
現にマヌエル・ジョアン・パトリシオは統合作戦本部、国防委員会に掛け合い小規模な警備艦隊をイゼルローン回廊に進出、帝国領に攻め込む擬態行動を行うよう要請、更にダゴン星域にて捕虜とした数少ない貴族子弟に停戦条約の締結及び国交樹立交渉のテーブルに就く事への要請する親書を携えさせ、彼らをメッセンジャーにしようとまでしていた。
又同盟国内もダゴンの完勝に沸き返り、溜飲を下したことで反帝国感情はかつてないほど低下、あらゆる意味で障害は少なくこの工作は現実味を帯びていた。
しかし、あらゆる運命が同盟に味方しなかった。
いよいよ対帝国工作を仕掛けようとした矢先に、パトリシオは病に倒れた。
最悪な事に末期の癌だった。
それでも病身を押して指揮をとろうとしたのだが、今度は政局が彼の邪魔をした。
一部イエロー・ジャーナリズムが今回の対帝国工作をリーク、それに食いついた野党や与党一部がこの件を追求、その対応に追われた事で帝国ではマクシミリアン・ヨーゼフⅡ世が即位、対帝国工作は頓挫し、パトリシオは病気を理由に議長及び議員の職を辞任、失意の中、半年後息を引き取った。
その後、議長に就任したコーネル・ヤングブラッドは異なる方向性で対帝国工作に打って出た。
それは帝国が侵攻に利用してきた回廊・・・のちのイゼルローン回廊に軍事拠点を建設し、常に侵攻する事は可能だという無言の圧力を加え続ける事で帝国との冷戦状態を構成した後に時間をかけて帝国との交渉に臨む事だった。
この工作はマクシミリアン・ヨーゼフⅡ世が即位後、内政の立て直しに重きを置き対同盟においては専守防衛に努め、積極的な侵攻の可能性が極めて低かったが為に提言できた事であり、軍事拠点は一朝一夕で完成はしないだろうが、自分の代で道筋を作り、次の代に託す予定であったのだが、ここでも運命は同盟に味方しなかった。
これらの計画を公表した所、各方面からヤングブラッドは批判と糾弾の嵐に見舞われることになった。
その理由は『建造の予算が高すぎる』、『このような無用の代物の為に血税を軍需産業に恵んでやると言うのか』、『ダゴンで帝国は我らの正義の前に敗北した、防衛の為の軍事拠点など無用である』等枚挙に暇がない。
しかし、これらの反対意見にも確かな根拠があり、この軍事拠点、通称『デモクラシー・フォートレス』の建造予算は概算でも五〇〇〇億ディナール、後の帝国領侵攻作戦時の予算が当初予定だけでも二〇〇〇億ディナールだった事を考えればこの予算がどれほど膨大なものであるかは理解出来よう。
加えて不幸な事にこの発表に前後して軍需産業と国防族との間に大規模な贈収賄事件が発覚、与野党問わず多くの国防族議員が逮捕され、これに関わった国防委員長までもが辞職、ヤングブラッド自身も監督責任を追及され、自身の給与を一年間返上する事を発表したが、支持率は劇的に降下。
その事でヤングブラッド内閣は風前の灯であると内外に囁かれ、止めとばかりに総選挙にて大敗北を喫したヤングブラッドは責任を取り議長を辞任、改革派の旗手としての名声は地に落ちる事になった。
しかし、その後宇宙歴六六八年のコルネリアスⅠ世の大親征により同盟は滅亡一歩手前まで追い詰められ、その事により『デモクラシー・フォートレス』構想は再び脚光を浴びた。
その先見の高さをマスメディアはこぞって称賛、この時すでに政界を引退していたヤングブラッドにもジャーナリストは押し寄せてきた。
そんな彼らにヤングブラッドはただ一言
「残念であるが、『デモクラシー・フォートレス』の建造は極めて困難であると言わざるおえない」
ただけ告げたという。
その予言はほどなく現実のものとなった。
先の大親征により軍事的にも人員としても巨大すぎる損害を被った同盟に『デモクラシー・フォートレス』建造に回せる力はなく、更に建造費用の概算が九〇〇〇億ディナール下手をすれば一兆に届く金額に跳ね上がる事が判明した事により『デモクラシー・フォートレス』構想は完全に頓挫する事になった。
そしてイゼルローン回廊には帝国によりイゼルローン要塞が建造。
これにより帝国・同盟戦争は終始帝国の優勢で進む事になったのだった。
自由惑星同盟における最高の評議会議長は誰なのか?
この議題に関しては大半の識者はマヌエル・ジョアン・パトリシオ、若しくはコーネル・ヤングブラッド、極論となると、この二人が議長を勤め上げた時代を『自由惑星同盟最盛期』とまで呼ぶ者もいるが、パトリシオ、ヤングブラッドどちらかである事に関しては議論の余地はないとまで言われる。
では、逆に最低の評議会議長は誰かとの問いには、自由惑星同盟後期の人物が次々と上がるが、その中でも推す声が最も大きい人物と言えば、ロイヤル・サンフォード、ヨブ・トリューニヒト、ジョアン・レベロ、この三名が挙がる事が多い。
全員、同盟最末期に議長を務めあげた人物で、同盟滅亡の始まりと呼ばれる帝国領侵攻を自身の権力保持の為強行したサンフォード。
帝国領侵攻後の同盟をその圧倒的なカリスマ性で団結に成功させたものの、その裏では地球教を始めとする時代を逆行させようと暗躍し続けた勢力と結びつき、最後は同盟を売り渡したトリューニヒト。
そして、同盟最後の議長であり、同盟の滅亡最後の一手と言われる『バーラトの和約』破棄を導いてしまったレベロ。
誰も彼も同盟の国家基盤に大きすぎる傷を与えたが、その中で最低最悪な議長はと問われた時、ジョアン・レベロは真っ先に候補から外れる。
確かに彼自身『バーラトの和約』破棄の直接の原因であるレンネンカンプ事件の実質的な首謀者として同盟史に悪名を残す彼だが、これは私利私欲や権勢欲によるものではなくただひたすら自由惑星同盟という国を守らんとしたがあまりの(それでも自分勝手であることに変わりはないが)迷走である事は有名であり、また、彼はその責任を他者に押し付ける事はせず(これにも押し付けるに足りる人材がいなかったと悪意に満ちた意見があるが)、全ての責任を一身に背負い、報われる事無き非業の死を遂げた事で『自由惑星同盟に殉じた悲劇の最高評議会議長』の方が有名である。
残るはロイヤル・サンフォード、ヨブ・トリューニヒトとなるが、私個人としてはロイヤル・サンフォードなのではないかと考えている。
ヨブ・トリューニヒトなのではないのかと思うものも多々いると思う。
若かりし時の私も同じ考えだった。
しかし、時が流れ、『獅子と魔術師の時代』を冷静に第三者的な視線で見つめ直した時、トリューニヒト時代とは瀕死の同盟が放っていた最後の光芒であった事に気付いた。
議長就任直後に勃発した救国軍事会議クーデターを無傷で切り抜けた後は政府内の掌握に努め、第一次ラグナロック作戦開始直前には同盟議席の三分の二を獲得して政治を安定。
軍部に関しても、国防族時代から培った人脈を駆使する事でその影響力を広げていき、評議会議長就任時には軍部の大多数を支配下におさめる事で民主主義の大原則とも言える文民統制(シビリアン・コントロール)を完全なものとしていた。
皮肉だが、彼を嫌悪していたアレクサンドル・ビュコック、ヤン・ウェンリー等は同盟国内の団結の邪魔でしかなかったのだった。
いや、もしも時代が時代でなければ『ペンタゴンの五英傑』である彼らですら粛清の対象となり軍を追われていた可能性が大きい。
そして、『バーラトの和約』後の彼は地球教とアドリアン・ルビンスキーの力を利用してローエングラム王朝内に自身の勢力を築き上げ、その力を背景に自分が主導してローエングラム憲法発布、議会設立を経て、ローエングラム王朝の立憲制移行、最終的にはローエングラム王朝の解体、その後継国家として第二銀河連邦建国までをも見据えており、その先見の明はヤン・ウェンリーは無論の事、太祖ラインハルトすらも凌駕していただろう。
また、アドリアン・ルビンスキーとは協力関係を続けて政界と財界を裏で支配していこうとしたようだが、地球教に関しては、近年になり発見されたトリューニヒト直筆の手帳によれば憲法に地球教には国教として扱われる事でローエングラム王朝を内面から支配させるという餌をぶら下げて地球教の協力を取り付け、憲法発布直前に自らがため込んでいた地球教関連の悪行陰謀全てをぶちまける事により、テロ組織として、徹底的に弾圧。
その後は自らが初代首相としてローエングラム議会を掌握、最終的には皇帝をも己が支配下に収め、そのまま自らが見据えたレールにローエングラム王朝を載せていこうと画策していた。
この未来図は『新領土戦役』終結直前、オスカー・フォン・ロイエンタールによって永遠に阻まれる結果となったが、これが無ければトリューニヒトは今では『周囲の不見識に屈する事無く、民主共和制の灯を守り通し全宇宙にその灯を広げた不屈の大政治家』と称賛されイゼルローン共和政府は『時流の流れを理解せず、人を見る眼も無く闇雲に戦乱と犠牲者を増やした愚か者の集団』と断罪された可能性も存在する、いや、かなり高い確率で起こりえた未来だった。
一方でロイヤル・サンフォードはどうかと言われれば、議長就任当初は『近年まれにみる調停の政治家』、『マヌエル・ジョアン・パトリシオの再来』ともてはやされたが、彼が優れていたのは利権の調停であるにすぎず、彼の在任期間中は自由惑星同盟史上最も汚職、贈収賄事件が多発した時代であったとも言われている。
その結果が、権力保持の為の戦争・・・帝国領侵攻を経てのアムリッツァ星域会戦での大惨敗だった。
その後、彼は議長職は無論の事、議員も辞職、故郷にも帰ろうにも『二千万を死に追いやった元凶』の汚名により帰る事も出来ずにハイネセンの辺境にある別荘でひっそりと生活していたのだが宇宙歴八〇一年の『オーベルシュタインの草刈り』によって逮捕、ラグプール刑務所に収監、その直後、暴動事件に巻き込まれて死亡した。
尚、彼の死因であるが、公式に発表されたものによると『全身を鈍器のようなもので殴られての内臓破裂等によるショック死』だったと言う。
ユリアン・ミンツも記述しているようにヨブ・トリューニヒトは現在でこそ『獅子と魔術師の時代』における屈指の謀略家であり、千里眼を思わせる先見の明を併せ持つ政治家であると評されているが、当時においてはそのような評価は少数派であり、『地球教と手を組み人類社会の歴史を逆行させんと企てた悪行政治家』と言うのが圧倒的多数だった。
しかし、この評価自体が定着したのは意外にも太祖ラインハルト崩御後の事である。
この当時旧同盟領は未だ『ハイネセンの天罰』による混乱が収まる気配が無く、混乱と混迷に支配されていた当時のハイネセンの住民にとっては死者の事に気を掛ける余裕などどこにも存在しなかった為だ。
そのきっかけとなったのはやはり『ルビンスキーの火祭り』の混乱によって逮捕、拘束されたドミニク・サン・ピエール、更にレオポルド・シューマッハの証言により発覚したヨブ・トリューニヒト、アドリアン・ルビンスキー、そして地球教からなる『薄汚れた三角同盟』による所が大きい。
トリューニヒトは政界を、ルビンスキーは財界を、そして地球教は宗教により精神面をそれぞれ影から操り人類社会を手中に収めんとあらゆる画策を企てていた事が明らかになると『バーラトの和約』の和約以降堕ちる一方だった彼の名声は完全に悪名と化した。
しかし、それはあくまでも新領土内での話であり、帝国本土でのトリューニヒト本人の評判は彼をことさら嫌悪する水府や軍上層部以外では悪くない・・・正確には影の薄い存在だった。
しいて言えば『地球教、ルビンスキーのおまけ』程度の認識に過ぎなかったのだが、其れが一変したのは太祖ラインハルト崩御後、ある言葉が帝国全土へと蔓延した事にある。
それは『新領土戦役』終結直後、惑星ハイネセンに降り立ったウォルフガング・ミッターマイヤーが親友の死と共にヨブ・トリューニヒトの死を伝えられた時に発せられた『ロイエンタールが皇帝(カイザー)の御為に新領土の大掃除をしてくれたのだな』だった。
その言葉は無二の親友を喪ったミッターマイヤーの僅かな心の綻びから生じた独白であったのだが、その言葉を発したタイミング、場所、人物その全てが最悪だった。
『新領土戦役』後は帝国の至宝と称えられ、その後も帝国首席元帥、軍務尚書、国務尚書を経てついには帝国宰相にまで登り詰め、『ローエングラム王朝黎明期最大の功臣』とまで称えられる事になる彼が一人の人間が死んだ事を『大掃除』と評するなど尋常な事ではない。
現にその場にいた将兵達は、その独白を聞くやミッターマイヤーを何か別のものを見るような視線を一瞬だけ向けていたと当時新領土民事長官(後に司法尚書、国務尚書を歴任)の地位にいたユリウス・エルスハイマーは自伝にてそう記述している。
この言葉が自室で呟くそんな程度のものであればまだ良かった。
だが、公の場で、しかも身内のみならず第三者までもが存在する場で発せられた事でその言葉は呪詛になり果てた。
それは紙に水が浸透するかのように瞬く間に新領土は無論の事、帝国本土にまで広がる。
が、最初の頃は『ハイネセンの天罰』を始めとする動乱の数々と太祖ラインハルト崩御まで至る混乱で表だった反応はなかったが、新体制が確立され、安定の時代に入るとその言葉は一気に拡散した。
帝国の最重鎮の一人であり、国民的英雄のミッターマイヤー元帥がそう酷評した男はどのような男なのか?
その疑問に応える様に、新領土からトリューニヒトに関する情報が流れ込んできたが、それがどのような情報だったのかなど語らずとも察すると言うものであろう。
この事により被害を受けたのは『バーラトの和約』後、帝国本土に移住したトリューニヒトの遺族だった。
当時、トリューニヒトには父母、妻そして息子娘の五人がいたが、新領土から流れ込んでくるそれにより有形無形の迫害を受ける様になり、その事を地元の憲兵隊に相談したそうだが、それを最後に消息を絶った。
当時は神隠し事件として話題になったが、それもすぐに忘れ去られた。
だが、新帝国歴一〇五年に公開された機密文書によって真実が明らかになった。
それによると、当時の憲兵隊は遺族に冷淡な態度や放置、酷い時には迫害に加担する態度まで取っていたのだが、其れが偶然にもウルリッヒ・ケスラー元帥の眼に入り、事の発端と現状が明らかになった。
この直前には旧門閥貴族の窮状が発覚した事により皇太后ヒルデガルドは無論、原因を作り出したと言っても過言ではないウォルフガング・ミッターマイヤーも無視する事は出来ず、トリューニヒト一家は極秘裏にマリーンドルフ領に移送、そこで新たなる戸籍と名前を与え、全くの別人としての人生を送る事を余儀なくされたのだった。
尚、改名後の名前は一切明らかになっておらず、彼ら彼女らがどのような人生を歩んだのかは未だに謎である。
国防委員長時代にヨブ・トリューニヒトは自らの派閥を立ち上げ、瞬く間に与党内でも最大勢力となったが、その派閥には五人の側近が存在していた。
ウォルター・アイランズ、エイロン・ドゥメック、アロンソ・カプラン、ザガディー・ネグロポンティ、アルノルド・ボネが彼らの名だった。
トリューニヒトの議長就任時には彼らは『同盟の未来を照らす五つの灯』やら、『トリューニヒト議長の懐刀』などと政府御用達メディアから散々に持ち上げられていたが、その実態はと言えば、トリューニヒトの言葉や政策を伝えるだけの腹話術の人形に過ぎず、彼らが積極的に動くのは利権やリベート、早い話私利私欲の為だけであった。
そのような彼らであるが第一次ラグナロク作戦からその運命は明暗に分かれる。
正確に言えば明に進んだ一人と暗に落ちていった四人にだ。
明に進んだ一人、それは無論ウォルター・アイランズである。
彼の活躍については今更語るまでも無く、帝国のフェザーン自治区占領、トリューニヒト失踪と言う、内外の混乱によって瓦解寸前であった同盟評議会をたった一人でヴァーミリオン星域会戦まで支え続け、後世においても『平時においての三流政治業者、非常時における名政治家』、『崩壊寸前の民主共和制の意思を守ったただ一人の政治家』と称され、いささか意地の悪い言い方をすれば、『僅か半年覚醒しただけで』歴史に名を残す事になった。
そんな彼であるが、『バーラトの和約』調印直前、病床に倒れ、国防委員長はもちろん、議員からも辞職、その後は病院のベッドから起き上がる事もままならず、宇宙歴八〇〇年一月二十日、マル・アデッタ星域会戦での同盟軍全滅の報に悲嘆と絶望に沈む民衆を他所に静かに息を引き取った。
残る四名であるが宇宙歴八〇一年にバーラト自治区が誕生した時に生き残ったのは一人もいない。
ドゥメック、カプラン、ネグロポンティ、ボネの四名は『バーラトの和約』以降、トリューニヒトの議長辞任後、批判から逃げる様に全ての職から退き、それぞれ息を潜める様にハイネセンで生活していたが、やはり『オーベルシュタインの草刈り』によって逮捕拘束、ラグプール刑務所に収監、暴動に巻き込まれ死亡が確認された。
興味深い事にこの四名、実は死因も死んだ場所もそれぞれ異なる。
ボネ、カプランは刑務所の通路でその他大勢の犠牲者達と共に死んでいるのが発見されており、その死因は全身をレーザー銃で撃ちぬかれての射殺であった事から帝国側の苛烈な暴動鎮圧に巻き込まれて死亡したと思われる。
ネグロポンティは刑務所中庭で死んでいるのが発見、司法解剖の結果、頭部を強打した事による脳挫傷である事が判明、また遺体の近くに何かが爆発したような痕跡があった事から、その爆発に巻き込まれたのであろうと結論付けられた。
残るドゥメックであるのが、彼は四人の中では最も悲惨な末路を遂げている。
暴動が下火になった所で鎮圧すべく部隊が突入。
完全に制圧した後、刑務所内の捜索を行ったのだが刑務所最奥に存在する懲罰用の独房で死んでいるのが発見された。
だが、その遺体は椅子に拘束された上で明らかな集団暴行を受けた形跡が見受けられ、直接の死因は過度な暴行を受けた事による内臓破裂なのだが、後年公開された検死報告書によると全身の骨の大半がへし折られていたとある。
状況が状況故に怨恨による殺人と断定された事で帝国側は無論引き継がれたバーラト自治区政府も調査に入ったのだが、今日まで真相は明かされる事は無かった。
その理由としてはやはり暴動事件による混乱によって目撃情報が極端に少なく、また監視カメラなども刑務所の施設が破壊された事により画像入手も難しい等が挙げられる。
更にこれが決定的な事だが、ドゥメックに殺意すら抱くほど憎んでいる者が多過ぎるという事だった。
元々彼はトリューニヒト陣営において報道官、スポークスマンの役割を担っており、敵味方双方から『支持率操縦士』の異名で呼ばれるほどの世論の操作や、扇動技術に長けておりそれによって失脚された政敵は一個小隊の両手両足の指を使っても足りないほどの人数であったとされ、更には誹謗中傷によって転居にまで追い込まれた者、精神疾患にまで追い詰められた者、自殺に追いやられた者やその家族までも含めればその数は一個大隊まで届くのではないかとも言われている。
調査によって暴動事件当時、ラグプール刑務所にはドゥメック個人に恨みを持つ人物が推定二十人いた事が判明しており(しかもその中には看守が五人いた)それぞれ取り調べを行ったのだが、誰一人犯人でない事が判明している。
彼らは口々に『ドゥメックに恨みはあった。だが、ラグプールで見た時復讐する価値も無い奴に成り下がっていた。だから、何かする気も失せた』
『笑えるよ。トリューニヒトの腰巾着だった時には俺達を散々見下してた。ここに来るまでは奴を嬲り殺しにしたい位だったってのに、刑務所で会った時には誰彼構わず媚び諂ってやがった』
と供述し、また、現場には証拠らしきものの存在していなかった為、迷宮入りとなり・・・
(『敗者達の英雄伝説・・・光に呑まれた人々』第二節自由惑星同盟編第一章~第二賞より抜粋)
四〇〇〇名以上の死傷者を出したラグプール刑務所暴動事件の犠牲者の中には旧自由惑星同盟時代において政府高官を務めあげた者が多い。
ユリアン・ミンツが先に挙げたロイヤル・サンフォード、エイロン・ドゥメック、アロンソ・カプラン、ザガディー・ネグロポンティ、アルノルド・ボネがその代表であるが犠牲者の中には女性高官も存在していた。
コーネリア・ウィンザー、それが彼女の名前である。
その名は自由惑星同盟末期において一種の汚泥として人々の、歴史の底にこびりついている存在である。
彼女が代議士として当選を果たしたのは三〇代の頃であったのだが、これに当時のマスコミ、ジャーナリズムは大反響を呼んだ。
と言うのも、自由惑星同盟二七三年の歴史の中で女性代議士は精々一〇〇名に過ぎず、ウィンザーが当選した時には実に二二年ぶりのことであった。
彼女は当時主流派と言える対帝国主戦派、それも最強硬派に位置する人物であり、その思想を危険視する声もあったのだが、それ以上に美しいテノールの声と堂々たる対帝国決戦を説く論調は人々を惹きつけて止まず、主戦派よりのマスメディアからは『現代の戦乙女』、『同盟のジャンヌ・ダルク』などと盛大に持ち上げられた。
無論だが、主戦派であると言うだけで重要ポストに収まる筈も無いのだが、彼女は内政、治安、運輸、IT情報、国防と様々な分野を広く浅く習得しており、その広い知識と経験は歴代の政権から重宝され初当選してから四期に渡り再選を重ね、その間に様々な要職を歴任、遂に宇宙歴七九六年には最高評議会の一席である、情報交通委員長に就任するに至った。
しかし、彼女の人生はここから転落する。
きっかけは同年にヤン・ウェンリーによるイゼルローン要塞無血占領だった。
これにより『帝国恐れるに足らず』の空気が同盟中に蔓延、更にアンドリュー・フォークがロイヤル・サンフォードに直談判で帝国領逆侵攻作戦が最高評議会の議題にまで上る事態に発展、ほとんどが賛成に偏る中、財務委員長(当時)ジョアン・レベロ、人的資源委員長(当時)ホワン・ルイが明確な反対の論調を取ったのだが、それに真っ向から対立したのがコーネリア・ウィンザーであった。
それ自体は決して問題ではない。
彼女自身は主戦派であるが故に遠征賛成派であり、反対派と意見をぶつけるのは至極当然の事であるのだが、この時に発せられた彼女の発言が問題だった。
『大義を理解しようとしない市民の利己主義に迎合する必要はありませんわ』
『どれ程の犠牲が多くとも、たとえ全市民が死に至ってもなすべき事があります』
『私達には崇高な理念があります。銀河帝国を打倒し、その圧政と脅威から全人類を救う義務が。安っぽいヒューマニズムに陶酔してその大義を忘れ果てるのが果たして大道を歩む態度と言えるでしょうか?』
これは同盟の疲弊しきった現状から反対を述べるレベロ、ルイの二人に理想論のみで反論した発言の一例に過ぎないが、これだけ見ても彼女の露骨すぎる選民思想と、同盟市民を見下した深層心理、更には安っぽいヒロイズムに陶酔している様が浮き彫りとなった一連の発言は、同盟軍の帝国領侵攻が大惨敗を喫した直後、あらゆるメディアに送り付けられた。
それは瞬く間に同盟全土を駆け巡り、コーネリア・ウィンザーはロイヤル・サンフォードに次ぐ戦犯として徹底的に糾弾された。
本来、外部に流出する事は決してないはずの発言データを流出させた犯人は現在も不明であるが、恐らくは出兵に賛成した評議員の誰かが自分の責任を少しでも軽くするため、若しくは全責任を押し付ける為だという説が有力である。
この事態に平静でいられなかったのであろう、マスコミや反戦派から発言の真意と責任を追及された際発せられた発言が止めを刺した。
『人命や金銭を多く消費したと言いますが、それ以上に尊重すべきものがあるのです。感情的な厭戦主義に陥るべきではありません』
他人事のような発言に遺族は無論の事命からがら帰還を果たした将兵達も激怒。
この事態に支持層もごくごく僅かな例外を除き全員彼女から離れ、評議員はおろか政治家としての命脈も完全に断たれたウィンザーは程なく辞任した。
だが、彼女の不幸・・・否、舌禍による応報はここから始まった。
辞職して程なく彼女は夫から離婚を切り出された。
原因は子供達の為である。
過去のあらゆる発言がメディアによって露呈していった事で彼女の子供達は『お前の親は二千万人を殺した』、『史上最低の戦犯の子供』と、あまりにも理不尽な迫害を受ける事になり、自殺寸前にまで追い詰められた。
このままでは子供達の身も心も持たないと判断された事により夫婦は離婚、親権は父親が取る事になり、しまいには元夫と子供達はハイネセンからも離れて彼女の前から姿を消した。
更に、離婚後、両親親戚からも同じ理由で絶縁を言い渡され、完全に孤立する事になった。
それから、彼女の足取りは途絶え人々の記憶から忘却されつつあったのだが宇宙歴八〇一年の『オーベルシュタインの草刈り』時に逮捕された時、やせ細り実年齢よりも二〇歳は老いたような見た目であったと言う。
その後、彼女はラグプール刑務所女子棟に収監されたのだが、暴動事件の際にその消息を絶ち、鎮圧後刑務所内の絞首刑台で首を吊られているのを発見された。
その表情は苦悶に満ちており、激しく抵抗した痕跡が見受けられ怨恨による私刑であるだろうと推察されたが、こちらも彼女に恨みを持つ容疑者が多過ぎたが為に、迷宮入りのまま混乱の中埋もれていく事となった。
(『時代に翻弄された名著達』・・・『敗者達の英雄伝説・・・光に呑まれた人々』編七章より)
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